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裏口から家の中へ入らうとした時、房一はそこの小路つづきの先きの方に彼の帰りを待ち構へていたらしい様子で突立つたまゝこちらを眺めている二人の男に気づいた。
「もう河原町へは当分帰る気はないんですかね。貴方にお貸したところをみると」
「もう遅いんですよ、おぢいさん。泊つてつたらどうです」
それに、茂子がこんな風にひよいと家を出て実家へ帰つたまゝ、十日も二十目ももどつて来ないなんてことは、別に珍らしいことでもなかつた。たゞ、この半年ばかりは落ちついていたのである。もう慣れつこになつている。そのうち又舞ひもどつて来るだらう。来なければ来ないで、それでもちつとも差支へはない。要するに、どうでもよかつた。居ない間が気楽といふものだつた。
我々はそれから「き」の字橋まで口をきかずに歩いて行ゆきました。……
と、彼は恐しく手まどつて答へた。
それにしても、今日の温泉旅館に宿泊する人たちは思い切ってサバサバしたものである。洗面所で逢っても、廊下で逢っても、風呂場で逢っても、お早ようございますの挨拶さえもする人は少い。こちらで声をかけると、迷惑そうに、あるいは不思議そうな顔をして、しぶしぶながら返事をする人が多い。男はもちろん、女でさえも洗面所で顔をあわせて、お早ようはおろか、黙礼さえもしないのが沢山ある。こういう人たちは外国のホテルに泊って、見識らぬ人たちからグード・モーニングなどを浴あびせかけられたら、びっくりして宿換えをするかも知れない。そんなことを考えて、私はときどきに可笑おかしくなることもある。
「ウシ!ウシ!」
たしかに、一年余りといふ年月は経過した。それは暦の上でもはつきり現れているし、房一の身辺でも紛まがふことなく通過した。たしかにいろんなことが、予期したことも予期しないことも起つた。それにもかゝはらず、そこには何か了解しがたいものがあり、一口に一年といつてしまふにはあまりにはみ出たものがうようよして感じられるのであつた。これにくらべれば、彼が開業のはじめに空想したさまざまのことは、あの医師高間房一としてこの町にしつかりと根を生やすといふことは、どんなに小さくどんなに単純なものだつたらう。いや、彼の空想は着々として実現していた。何故なら、どこにも医師高間房一としての失敗は認められなかつたから。それでもなほ、彼の前もつて考へたことは、起つたことにくらべればとるにも足りないものだつた、といふ感じを抱かざるを得なかつた。そこには何か大きなものが、大きくつて親しい、落ちついたものが現れているやうに思はれた。
「おつ」
銅山が廃坑となり、時代が移ると共に、他所の町村が発展するのに河原町だけは産業的に衰微し、とりのこされたが、以前の天領気分は今でもなほこの町を中心とする一廓に残つていた。それは近くの村々から「河原風」と呼ばれていた。今でこそ「無暗と気位ばかり高くて能なし」の意味であつたが、当の河原町の人々は、それがどんな意味に使はれていても、腹の中では漠然とした自己尊敬の念を感ずるのであつた。
朝早くから徳次が探し歩いてくれたので、房一には追鮎の素晴しいのが手に入つた。浅瀬につけた追鮎箱の中で、肥つた生きのいゝそいつは青黒い美しい背をたえまなく左右に動かしながら、きれいな水に洗はれて、たとへやうもなく靱しなやかに強く見えた。鼻先に短い針を通して糸につけて放すと、そいつはいきなり激しい力をもつて水の深みに走つて行つた。